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これは2006年、スポーツナビに寄稿した原稿の再録です。
 当時フィギュアスケートが話題になることは少なく、トリノ五輪直前の特集記事でした。荒川静香選手が金メダルをを取る前のもので、あの頃のほうが選手はざっくばらんに本音を語ってくれたような気がします。
 アレクセイ・ヤグディンはこの後、記事の中にでてくる
タチアナ・トトミアニナと結婚したので、ちょっと驚きました。たまたま筆者の娘がタチアナと同じリンクで、しょっちゅう一緒に練習していたからです。他意はありません。



 何かと物議を呼んできたフィギュアスケートの新採点法。五輪では初めて採用された今回のトリノ大会で、ロシア勢が圧倒的な力を見せている。

 16日に行われた男子シングルのフリープログラムでは、エフゲニー・プルシェンコが完璧な演技を見せ、ショートプログラムに続いて1位となり、完全優勝を果たした。
 すでに混合ペアは、タチアナ・トトミアニナ&マキシム・マリニンが完全優勝を遂げており、アイスダンスもタチアナ・ナフカ&ローマン・コスタマロフが優勝候補。女子シングルもイリーナ・スルツカヤが続く可能性が高い。

 ロシアの強さは、新採点と関係しているのかどうか。ソルトレークシティ五輪の金メダリスト、アレクセイ・ヤグディンに先日、インタビューする機会に恵まれた。
   ヤグディンは現在、プロに転向して、「スターズ・オン・アイス」のようなメジャーなアイスショーを中心に世界を股にかけて活躍している。

「採点方法が変わったからといっても、フィギュアスケートは人間が滑り、人間が判定するスポーツ。基本的な部分は変わってはいない。今、ロシア勢がトップを占めているのは、たまたま幾つもの条件が重なっただけのことさ。スルツカヤといい、プルシェンコといい、これだけの逸材がそろい、練習環境もバックアップ体制が整ったからこそ、金メダル候補なんだ。僕が金メダルを取ったときもそう。僕一人の力ではなく、コーチとそのアシスタント、トレーナー、エージェント、心理学者、振付師、スポーツドクターたちがチームを組み、出会いという出会いが目標のために一本の線みたいにつながってくれた。たまたま勝てただけのことなんだ」

 ヤグディンは1年と空けずに来日していて、

「東京で家を買うことも真剣に考えたことがある」

   と発言したほどだ。親日派と言っていい。全日本選手権も熱心に観戦していて、以前から安藤美姫(愛知・中京大中京高)や浅田真央(グランプリ東海クラブ)のような日本の若手に注目してきた。

「もし僕がいつかコーチ専業になったら、ロシアだけじゃなく、彼女たちのような日本の選手も教えてみたい。振付師より、やっぱり僕の場合はコーチが向いているかな」

 仮に指導者になったとして、若手に伝授したいのはあのダイナミックなジャンプなのだろうか、それともあの華麗なステップ・シークエンスなのだろうか。

「そんなの両方に決まっているじゃないか」

 ヤグディンはくすっと笑った。

「確かに今の採点の上では、ジャンプに比重が置かれているかもしれない。とはいえ、フィギュアスケートという競技において、決してジャンプとステップは別ものではないんだ。あくまでステップの延長にあるのがジャンプなんだからね。3回転だろうと、4回転だろうと、それは同じだ」 

 MIFMoves in the Field)というスケート用語がある。一般に「MIF」といえばジャッジテストを受けるときの規定演技を指す。

 北米ではどこのリンクでも、たいてい氷がきれいな早朝に2030分のMIFのためのセッションが設けられていて、全員ジャンプやスピンは禁止。その時間はリンク全体を使ってステップワークを磨くのだ。

「バレリーナが必ず毎日バーレッスンから練習を始めるように、フィギュアスケートの基本はMIFにある。それがなかったら一歩も先に進めないし、ジャンプにだってつながらないんだ」

 そう語るヤグディンだが、実はほとんどの子どもがそうだったように、あまりMIFの練習が好きではなかった。

「やっぱりジャンプの練習が一番好きだったよ。だって退屈じゃない? でも、タワソワの前のコーチは、毎日必ずMIFを僕たちにやらせ、それをさぼると絶対に次に進ませてくれなかった。ああいう基本が身に付いていないと、ジャンプだってスピンだって難度の高い物をプログラムの一連の流れの中に取り入れるのは無理だ」

 前コーチといえば、プルシェンコと同じアレクセイ・ミーシン。サンクトペテルブルグ・フィギュアスケート・アカデミーの総監督でもある。10歳から18歳までの間、ヤグディンは彼に師事し続けた。

 米国の有力雑誌「スポーツ・イラストレーテッド」はごく表面だけを見て、かつてプルシェンコのことを“神童”、北米でタチアナ・タラソワの指導を受けるようになったヤグディンのことを“放とう息子”と評した。

「正直言って僕はGPファイナルで浅田真央がスルツカヤに勝ったとき、とても驚いた

 もちろん日本でも有能なインストラクターほど、基本の重要性を実感している。
 とはいえ、広いスペースを必要とするから、練習場所を確保するのが諸外国ほど楽ではない。
 日本スケート連盟が主催している野辺山の夏合宿でも毎年、米国デトロイトに居住している佐藤有香&ジェイソン・ダンジェン夫妻を招き、基本のエッジワークを徹底的に指導してもらっている。

 エッジというのはスケート靴の刃の部分のことで、3-4ミリの幅がある。10円玉を真っすぐコロコロと転がすような滑り方は、いわゆる「フラットエッジ」なので美しくない。そうではなく、「ディープエッジ」と言って、外側(アウトサイドエッジ)と内側(インサイドエッジ)を巧みに使い分け、カーブしながらスピーディーに滑るのが基本中の基本なのだ。

 指導者の違いなのか、トリノ五輪の混合ペアで、3組の中国ペアはこのエッジワークをあまり得意としていなかった。だからこそ、ロシア陣営は五輪前から絶対的な自信を持って、本番に臨むことができたのである。

 ヤグディンはこうも言った。

「だからといって、真央が五輪でメダルを取れないという意味じゃない。そこでも再びスルツカヤを負かし、1位になってもおかしくない実力を持っていると思うよ。それがオリンピックであり、フィギュアスケートという競技の面白さなんだもの。ソルトレークシティー五輪でサラ・ヒューズが勝ったようにね」

 ヒューズを実例として挙げたが、ヤグディン自身は決して忘れていないはずだ。ソルトレークシティー五輪の直前、ミーシンはこう言い切ったことを。

「プルシェンコの方が上だ。ヤグディンは腕や顔や上体を使って曲を表現する点では、タラソワのところへ行ってたしかに上達した。でも、スケートはそれがすべてでない。大事なのはスケーティングであり、エッジであり、氷と一体化した世界を創造することなのだ」

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  ヤグディンと話していると、タチアナ&マキシム・ペアのコーチでもある1984年のサラエボ五輪ペアの金メダリスト、オレグ・ワシリエフや、1985年の東京世界選手権の金メダリスト、アレクサンドル・ファデーエフと話しているかのような錯覚をふと覚える。実は彼らも日本の選手たちへの評価といい、MIFや基本の重要性といい、違う場所で違う時間にほぼ同じ感想を口にしていたのだ。

 同じロシアのチャンピオンとはいえ、世代はだいぶ違うのだが。筆者がそれを指摘すると、ヤグディンは少しのけぞるようにして笑った。

「僕の国には“自転車をまた一から発明するのは愚行だ”という格言がある」

 それはワリシコフをはじめとするロシア人のフィギュアコーチや、バレエ教師、音楽教師がよく口にする言葉だ。もうすでに伝統として伝わっているメソッド(手法)が幾つもあるのだから、コーチはそれを熟知した上で適材適所、新しい人材にはそれを教え込めばいい。すべてのテクニックを一から独自で発明して伝授するのは無駄だ、という論理である。

 筆者は言った。
「オレグ・ワシリエフがよく口にする言葉がもう一つありますよ。“明日がオリンピックじゃないんだぞ”。たとえ回り道になっても、辛抱強い練習の積み重ねが大事だというのでしょう」
 ヤグディンは一瞬、遠い目をした。。
「ああ、僕のコーチも昔、よくそう言っていたよ」

 そして、彼はいつに日かきっと同じセリフを繰り返すような気がしてならない。ヤグディンだけではない、プルシェンコもタチアナもマキシムも……。そして、そこからまた新たな最強伝説が産まれるに違いない。


梅田香子(うめだ・ようこ)
東京都国分寺市出身。1985年に「勝利投手」(河出書房新社)で文芸賞佳作。これはベストセラーになり、以後はフリーランスで主にプロ野球を取材するようになる。1991年、結婚を機に米国永住権を獲得して、米国シカゴに移住。現在は新聞、雑誌、ラジオ、ウェブマガジンでメジャーリーグ、フィギュアスケート、アメリカ文化をテーマに執筆を続ける。著書は「スポーツライターの24時間」(ダイヤモンド社)「マイケル・ジョーダン 真実の言葉」(講談社)「スポーツ・エージェント」(文芸春秋)「フィギュアスケートの魔力」(文芸春秋)など多数。