ジュニアで新女王に輝いたアグネス・ザワッツキー一家が2年前、コロラドへの引っ越しを決断したとき、オハイオ出身でコロラドを拠点とする名コーチ、トム・ザカライセクは元コーチのデビッド・サンティーに電話して、こう言った。
「僕は次の五輪に5人も自分の生徒を連れていく予定なんだ。だから、アグネスまで指導する時間はないんだよ」
あれから2年が過ぎた。5人どころか、レイチェル・フラットが勝たなければ、ザカライセクはあやうく五輪には行けないところだった。もちろん彼が優秀なコーチであることには変わりがない。とはいえ、それほどフィギュアスケートは1年、2年先が読めない競技なのだ。
ライアン・ブラッドリーはフリースケーティング(FS)では4回転ジャンプを2度降りたにもかかわらず、ショートプログラム(SP)の不調が響いて4位に沈んだ。ブライアン・ムロスは精神的な弱さを露呈してしまった。元ノービス・チャンプのメリッサ・セカンディは伸び悩み、ザワッツキーはまだ15歳。何よりもトムの計算外だったのは、大本命だったジェレミー・アボットが昨年の夏前、佐藤有香に師事するためデトロイトに引っ越してしまったことだ。
まだ若くて血気盛んなザカライセクはそれを知ったとき、動揺したし、激怒もした。素直で温厚な性格のアボットも、このときばかりは強情だった。アボットいわく、「ユーチューブでユカ・サトーの昔の演技を見て、とても感動した。その後で話をする機会があり、話しているうちに彼女のスケートへの姿勢に感銘し、絶対にこの人から指導を受けたいと考えたんだ」。
正しかった全米王者の決断
ザカライセクもまだ46歳だが、佐藤は36歳という若さだ。3年前まではアイスショー中心の生活を送っていたので、名門デトロイト・フィギュア・スケートクラブの指導者として壁に写真こそかかっていたが、フルタイムの生徒は持っていなかった。夏の野辺山合宿での指導者ぶりは高い評価を得ていたものの、国際的なコーチとしての評価はまだゼロに等しかったのだ。それだけにアボットの決断は一種のギャンブルといえた。
「僕はギャンブルだなんて思っていない。ユカのおかげで夏のトレーニングは充実したものになった。プログラムもとても気に入っている。ダンジェンもサポートしてくれたから、新採点への対応も完ぺきだよ」
佐藤の夫、ジェイソン・ダンジェンは引退後、国際テクニカル・スペシャリストの資格試験に受かっているから、たしかに指導者としても最強カップルだ。結果をみるまでもなく、自信と安定感にあふれた演技が、アボットの選択が正しかったことを証明している。これで佐藤も、日本代表の小塚崇彦(トヨタ自動車)らを指導する両親の佐藤信夫・久美子夫妻同様、名実ともに、一気に一流コーチの仲間入りを果たしたといえよう。
SP、FSともにアボットが1位。エバン・ライザチェクがSP2位、FS3位で、これに続いた。冒頭に4回転ジャンプでは転倒してしまったものの、地道な練習の積み重ねで、回転不足気味な癖があったトリプルアクセルを克服したのは大きかった。総合3位に入ったのは、ジョニー・ウィアーで、SPは3位、FSは5位。4回転ジャンプには挑まず、得意のトリプルアクセルでまとめたはずだったが、FSで1つしか入らなかったのが誤算だった。
長洲が米国代表で五輪へ
女子で新女王に輝いたフラットは、もともとカリフォルニア出身。コロラドは練習環境に恵まれ、学校側も理解があり、コーチのザカライセクが高い評価を受けているので、ザワッツキーのように北米中から有望な人材たちが家族とともに引っ越してくる。そんな中にあっても、フラットの運動能力と芸術性はひときわ輝いていた。
キミー・マイズナーを最後に全米ノービスで優勝した女子は、伸び悩んだり、ほかに興味が移って引退してしまったりしているのだが、フラットは比較的ここまで順調に昇りつめてきた。ジュニアでは全米2位、シニアに上がってからも2年連続2位だったが、ついに優勝という最良の形で五輪行きの切符をつかんだのである。
女子は2枠しかなかったので、激しい争いになったが、長洲未来がSP1位、FS3位で、総合2位に入った。シニアで全米1位に輝いた年はまだ14歳だったので、世界選手権にも出場できず、いきなり五輪に駒を進めることになった。
前のシーズンは足を痛めていたが、なんでもそれまではウォームアップもストレッチもほとんどやっていなかったとか。たしかに車の中でスケート靴を履いて、そのまま氷に乗って滑りはじめる光景を何度か目にした。それでもトリプルジャンプをぽんぽんと飛んでしまうのだから、恐るべき潜在能力である。長洲いわく、「朝が早いからお母さんが運転する車の中で、ぎりぎりまで寝てしまうんです。ちゃんとストレッチをやってから練習するようになったら、足の痛みもなくなってしまいました」
パワーアップしたスピードと芸術性
「スケート以上に学校が好き」と言っていた長洲が、「オリンピックには絶対に行きたい」と昨年9月からは公立のホームスクーリングに切り替えた。これで車の中で寝ることがなくなり、スポーツジムに通う時間もできたので、ぐっと体がしぼれてきた。この2年間で15センチも身長が伸びたため、ジャンプが崩れた時期もあったが、それを克服した今、演技に成熟した芸術性とダイナミックさが加わった。
「フランク(キャロル・コーチ)はプログラムとかちゃんと滑らないと、顔を真っ赤にして怒るんですよ」
SPが完ぺきだったのに対し、FSではトリプルジャンプで3つ回転不足を取られてしまったが、プログラム全体のスピードと芸術性は以前にも増してパワーアップした。
「今日は私のベストではなかったけど、それがかえってうれしい。これからもっとたくさん練習して、五輪ではきっといい演技をしたい」
一人っ子の長洲だが、家に帰れば愛犬チワワのコースケが出迎え、小さなしっぽをふり、祝福してくれるはずだ。
<了>