555831_120305241496473_1730084750_n スポーツグラフィックナンバーに掲載したものです。これはずいぶん当の選手たちに読まれていて、後々までいろいろな情報をごっつぁんしました。

「大リーグってサインを盗むとかはないって聞いていたのに、そうじゃないみたい。2塁にランナーがいるときは違うサインを出すようにと言われたから、やっぱりのぞくヤツがいるんでしょうね。」
  フロリダ州レイクランド。デトロイト・タイガース・キャンプ。ここでの木田優夫はルーキーだから、毎日が新しい発見の連続に違いない。もっとも教育リーグでアリゾナやフロリダのマイナーリーグは経験済みだ。

「でも、まあ、考えてみると盗まれるからキャッチャーは隠しながらサインを出すわけですからね。やっぱり盗むんでしょう。誰も盗まないのなら顔の横でパッパッと出せばいいわけだもの」
  キャッチャーが出すサイン自体は1本がストレート、2本がカーブ、3本がシンカー、4本がチェンジアップ、指を揺らしたらナックルといった、かなり単純なものだ。

「日本のはもっと複雑で球団ごとにかなり違うんですよ。オリックスに移籍したとき僕にはちょっとやりにくくって、巨人のときに使っていたものを教えたんです。そしたら、かなり複雑でわかりにくいと言われましたもん」

 木田の言葉を元オリックス、現エンゼルスのセットアップマン、長谷川滋利に伝えてみた。

「なるほど。木田はそう言っていましたか。たしかにメジャーリーグのサインはどこの球団も同じで、かなり簡単なものを使っていますね。サイン盗みは昔はあったみたいだけど、最近はないと思いますよ。少なくともアリーグではない。日本にいたときはときどきバッターの振り方とかで、あれ、おかしいな、サインを盗まれているのかも・・・とときどき感じたことがあります。でも、こっちに来てからはありません。」

 仮定の話、サイン盗みが実在したとして、いったいなぜ激減したのだろうか。

「サイン盗みなんかすると、乱闘になりますよ。僕はボストンで1回そういう経験をしたことがあります。わざとではなかったのですが、バッターにぶつけてしまったんです。うちは(サイン盗みは)そのときやっていなかったのに、むこうはむこうで先発が変な打ち込まれ方をしたからでしょう。疑っていたらしく、乱闘になってしまったんです」

 そういえば、オーレル・ハーシャイザーロジャー・クレメンスも2塁ランナーのピーキング(サイン盗み)がわかったときは、バッターにぶつけることにしていると明言していた。

「そうでしょ。こっちはそれが普通ですからね。力と力、技と技を競いあうべきなのに、サイン盗みみたいなことをしたらぶつけて、当然。僕も今だったらそう考えますね。昔は違ったけど。日本のプロ野球にはいい方向に進んでほしいから、僕は帰ったらアドバイスするつもりですよ。(サイン盗みをされたら)バッターにぶつけてやれって。」

 ところが、一概にそうとは言い切れないらしい。驚いたことに、監督やコーチたちの多くが全く否定しなかったのである。

「ほう。長谷川はそう言ったのかい。おそらく彼はウソは言っていないだろう。でも、言っていることは事実かと言えば、そうではないね。現在、といってもオープン戦ではどこもやっていないけれど、公式戦では非常に沢山の球団がさまざま方法でサインを諜報している。」

 ボビー・バレンタイン監督は自信に満ちた口調でそう語った。

「1951年のニューヨーク・ジャイアンツが最初と言われているね。噂なんだけど、私はそれが事実だと確信しているよ。それ以後は今日に至るまで、バックスクリーンに様々な仕掛けを取り付けられ、サインを盗む行為がつづけられているのだからね。」

  1951年当時の監督は何かと悪名が高かったレオ・ドローチャー。現役のときは2塁手で、大の賭博好き。ベーブ・ルースと衝突がたえず、タイ・カップと殴り合いのケンカをし、ブルックリン・ドジャースの監督時代はファンや審判と口論になってコミッショナーから1年間の出場停止処分を課せられたことがある。ジャイアンツの監督に就任すると19歳のウィリー・メイズをレギュラーに抜擢し、8月12日から脅威の16連勝して、首位のドジャースに追いついた。プレーオフでは2点リードされた9回裏にボビー・ソムソンの逆転3ラン本塁打が飛びだすなどして、ナ・リーグを制覇。ニューヨーカーを大いに沸かせたのが、この1951年なのだ。
 さらに、トリストラム・ポッター・コフィン著の「イン・ザ・オールド・ボールゲーム」によると、つづく1952年にドジャースを優勝させたチャーリー・ドレッセン監督こそがサイン盗みの達人だったと記してある。
 ダイエーが話題になったとき、メジャーリーグではファア精神を重んじられるから絶対にそんなことをしないという報道が幾つか目についた。それを口に出したところ、バレンタイン監督は声をたてて笑った。

「だったらスピットボール(ボールにツバやワセリンをつける不正投球。1987 年に禁止された)はどうなるんだい?だいたいサインを盗んではいけないなんて野球ルールのどこにも書いていないじゃないか。もっとディープな取材をしてごらん。ライフワークにしたっていい。なぜなら諜報活動の歴史はある意味で、モダン・ベースボールの歴史そのものでもあるからだ。さあ、私が話せるのはここまでだ」

  たしかにステロイドを使った肉体強化、唾液やワセリンでボールに細工をほどこす不正投球、コルクバット疑惑と並んで、スパイ行為はこれまでにもちょくちょくメジャーリーグの裏の歴史に顔をだしてきた。コフィン「ユニフォームを着ている人間がサインを盗むのはアンフェアなことだが、それ以外の人間は単なる‘市民’だから(サイン盗み)をしてもいい」と妙な理屈を主張している。
 匿名ということを条件に、マイナーリーグの球団、それからヤンキースとメッツを経て、今現在もある球団で職員として働いているA氏は次にように証言してくれた。

「ヤンキースはやっているでしょう。それからコミスキーパーク。選手たちはあの2か所では必ずやっているとロッカールームでは話していますね。僕は実際ヤンキースタジアム内で、そのための部屋を見たことがあるんです。バックスクリーンに4箇所、レンズが埋め込まれていて、キャッチャーの股間や三塁コーチなどがアップされてるようになっていました。その部屋にはビデオとかコンピューターとか様々な機械が並んでいて、サインを分析するための専門家が常駐していました。」

 故・ビリー・マーチンの直弟子といわれ、不正投球の名手だったマット・キーオにも聞いてみた。彼は阪神でプレーした後、エンゼルスのスカウトをやっている。父親も同じ職業だったからこの種の話題には強いはずだ。

「これだけテレビ放映されるようになり、キャッチャーのサインが映しだされるんだから、解読されて当然だろう。今はインディケーターという装置がバックスクリーンに備え付けられているから、どのコーチも試合前にサインの解読をすませているはずだ。」

 さて、話は第2次世界大戦前に遡る。巨人軍、阪急軍、名古屋軍で監督を勤めた三宅大輔が1965年に出版した「野球学」(ベースボール・マガジン社)から引用してみよう。


「現在日本では、敵の信号を盗用するティームはほとんどないようであるが、第1回の巨人軍渡米のときは、敵の信号を盛んに盗見しては打者に教えた。また日本語を全然解しない地方では、私はコーチス・ボックスから、「今度は曲がるぞ」とか「次は直球だ」と、公然と打者に教えたものである。いずれにせよ、いまから30年も前に、われわれは現在のティームよりも進歩した野球を行っていたことになる」

  第1回の巨人軍渡米といえば、1935年。また同著ではクリーブランド・インディアンスで監督と選手を兼業していたトリス・スピーカーが帽子を脱いだり、グローブをはずしたり、靴のひもを結びなおしたりした様子にも触れている。どうやら当時はまだ今のようなブロックサインは普及していなかったようだ。
 1954年に出版されたアル・キャンパネラ著「ドジャー・ウェイ」には1章をさいて、4種類のサインと盗みかたについてふれてある。
「フラッシュ・サイン」は帽子のつばなど、身体のどこかを素早くさわるもの。
 2番めの「ホールディング・サイン」は膝の上に手とおくとか、しばらくの間だしっぱなしにしておくもの。
 3番めの「ブロック・サイン」は今のとは少し違っていて、コーチが身体をさわった回数によって、1度だけなら「待て」2度なら「バント」といった具合になっている。バッターの打順によって1、2、3番打者は帽子や頭、3、4,5番はシャツ、7,8,9番打者と代打はズボンをこするというわけだ。
 4番めの「コンビネーション・サイン」はキー・サインが決めてあり、たとえばベルトをさわるのがキーで、帽子をさわるのが盗塁とした場合、ベルトと帽子を同時にさわることで盗塁のサインが発せられたということになる。簡単なものなので、相手ベンチは2人が1組になって走者ないし打者、それからサインを出す監督かコーチをじっと観察すれば盗むことができると書き添えてあった。
  現在よく使われているものは、ワンタッチと呼ばれるブロック・サインで、「ドジャー・ウェイ」の時代からかなり進化している。つまり、キーをベルトと決めて、帽子が盗塁、右肩がヒット・エンド・ラン、左肩が「待て」・・・とした場合、コーチの手は右肩→左肩→顔→ベルト→帽子→右耳→左ひじ→左太もも→とめまぐるしく動いた後、両手をポンポンと叩く。キーであるベルトの次にさわった部分が本物のサインで、他の動作はカモフラージュにすぎない。この場合ベルトの次にさわったのは「帽子」だから、盗塁の指示ということになる。
  これとて絶対に盗まれないという保証はなく、試合の中盤にさしかかる頃にはキーを見抜ぬかれてしまうことがあるそうだ。ジム・ラフィーバー、ドン・ジマー、ロジャー・クレイグ、日本でいうと故・牧野茂、一枝修平、島野修のように、各チームで引く手あまたの名コーチはたいてい、素早くサインを出すのにも、解読するのにも長けている。
 かつてのドジャースの新人王、現ブリュワーズのコーチ、ラフィーバーは日本のロッテでプレーした後、ジャイアンスやアスレチックスで打撃コーチ、マリナーズやカブスで監督を務めた経験があった。

「キャッチャーの出すサインはどこも同じだが、3塁コーチの出すサインは監督やコーチによってずいぶんと違ってくるね。ビリー・マーチンやトニー・ラルーサは盛んにサインを出しているふりをして、実は隣にいる選手がそっと出していたりした。先乗りスコアラーにとって敵のサインを解読することは大切な任務だ。長谷川や他のピッチャーたちが最近はやっていない、と発言したのはある意味で当然のことだよ。ピッチャーたちはピーキング(サインをのぞくこと)がわかったら、ぶつけにくるからね。だから、たとえ味方であろうとピッチャーたちには秘密だし、バッターたちにもあくまでデータの一部として提供される。その情報をどうやって入手しているか、技術的なノウハウを把握しているのはごく一部の人間にすぎないのだよ」

   ジム・フライ元監督もリグレーフィールドでセンターカメラを使ってサインを盗んでいたことを地元のテレビ番組で引退後に告白した。シカゴ・カブスを戦後はじめてナショナルリーグ東地区優勝へと導いた1984年、外野手のキース・モアランドと捕手のジョディ・ディヴィスをクラブハウスに送りこみ、そこのテレビで相手キャッチャーのサインを解読していたそうだ。

「ああ。2塁ランナーがいたときはそこからバッターにサインを出して知らせていたよ。これはカブスが最初ではなく、ウィリー・メイズがうまかった。でも、ランナーがいなきゃダメで、ピッチャーにもわかってしまい、自然消滅してしまったようだ。アメフトでコーチが使う無線を実験的にヘルメットにつけた監督もいたけど、あれはだめね。集中力をそがれてしまうとバッターがイヤがってしまった。」

  当時も今もカブスでクラブハウス・マネージャーを勤めるヨシ・カワノはそう回想する。

「肉眼ならよくて、機械を使っちゃいけないというのもファニーな理屈だね。アメリカ人はバトルの一種だと考えていて、諜報作戦に罪悪感なんてもっていないんじゃないよ。前の戦争のときもそうだったじゃない?」
imge9b188b2zikbzj
  日系アメリカ人のカワノは第2次世界大戦では米軍に志願して、フィリピン戦線にいた。たしかにゾルゲ事件を例にだすまでもなく、日本軍の作戦は敵国に盗まれていて、一説によると、ルーズベルト大統領には包ぬけだった。
  ふと元巨人の渉外担当で現テキサス・レンジャースのスカウト、リチャード背古氏の言葉が思い出された。

「メジャーリーグっていうのはメディアガイドに載っている球団職員よりも、実際は3倍ぐらいに人数の人間が働いているんですよ」

 背古氏の名刺にはレンジャーズのロゴは入っていたものの、住所は巨人のときと同じカルフォルニアでいわゆる在宅勤務だった。普段は持ち運びのきくパソコンを使って仕事をしているから、1年のうち8日だけテキサスのオフィスに出向き、ミーティングをやるそうだ。

「巨人でウォーレン・クロマティやフィル・ブラッドリーと契約する仕事をしていたときとレンジャーズのスカウトとどちらが大変な仕事ですか?」

 とたずねたところ、

「それは今のほうが大変ですよ。プレッシャーのかかりかたが違いますから」

 という答えが即座に帰ってきた。
 国内なら一晩で配達されるフェデックスとパソコンの電子メールと表計算・グラフのソフトウェアは「メジャーリーグのスカウトのために開発された」というジョークがある。たしかに遠征先であろうとバレンタイン監督の机の上にはいつも東芝のサテライトプロが置かれ、モデムと電話線がつながれていた。持ち運びにはやや重たいのだが、故障が少ないということでメジャーリーグではよくみかける機種だ。余談になるが、バレンタイン監督は元レンジャーズ投手コーチのトム・ハウスが設立した「 バイオキネックス 」社と契約していた。味方のピッチャーたちの投球フォームをコンピューターでデジタル化してもらい、癖を盗まれないように常に研究している。そういえば、カル・リプケントニー・グウィンは休みの日もビデオ漬けで、相手ピッチャーの投球モーションを目に焼き付けているそうだ。
  ちなみにアドバンス・スカウト(先乗りスコアラー)を考案したのは、1980年代にヤンキースを8度優勝に導いたケーシー・ステンゲル監督である。
  いったい全体どこまでがスポーツで、どこまでが不正行為なのだろうか。

「野球ってのは実にハードな心理戦なんだ。サインを盗まれていると思ったら、裏をかくピッチングを僕だったらやるね。それから、バッターにぶつけることで‘もうやめておけ’と警告する。それは野球の1パートだ。」マット・キーオ
(了) ≪取材・文 梅田香子≫