私が田辺ファンになったのは社会人になってから。田辺源氏は昭和版「源氏物語」といえる作品、敬語ぬきの現代版だ。紫式部の原作からはところどころ逸脱しているものの、それはもうチャーミングな仕上がり。
「氷艶」を見終わったとき、まっさきに「これは田辺先生にみていただきたかった」と思った。きらきらとして華やかなものが好きな方だから、きっと手をうって大喜びされたはず。
予告を見たとき、「ちゃんばら?賀茂祭の車争いかな?陰陽師?六条御息所の祈祷かな?」とあれこれ空想をめぐらせた。でも、全部はずれ。もっとドラマチックでした。
ちゃんばら、歌舞伎でいう「立回り」、新国劇の「殺陣」。オンアイスでははじめて見た。スピードが早い、くるくるとよく動く。迫力あるけど、重たくない、スキップしてしまいそうなほど軽快。
キャンデローロの「三銃士」やディズニーの「美女と野獣」は別として、普通はフィギュアスケートでこういう動きはありません。
それだけ刀のちゃんちゃんばらばらは、入念な稽古を重ねたのでしょう。音響もぴたっと重なって、息をのんでしまうエキサイティングな場面ばかり。
きらっきらっと剣が舞い、着物がひらっひらっと優雅になびく。
何しろブレードという26センチほどの線だけが氷に接しているのだ。肉体の大部分は宙を浮遊しているのと同じ。
誰も彼も走りっぱなし、ノンストップ。乱れのない動きとスケーティングで、主役をひきたて、光源氏もそれに見事に応える。
刀をもったままのデスドロップも。うそでしょう?あのシーンだけでもスローモーションで、また見たいわ。
ストーリーの流れは冒頭部分は古典に忠実だった。源氏と兄宮の子供シーンがファンジーかつスポーティー。うまい。
これは選手の滑りだわ、と思ったら、なんと昔お世話になったスケートの中田誠人先生の息子さん!小倉出身。ということはあれはイギリス人とハーフの赤ちゃんだった子!それ知っただけで、私ははらはらと目がうるみます。
子役がぱっと大人に入れ替わるタイミングもすばらしい。高橋大輔登場。遠い席でも身のこなしでわかる。どっと満員に近いお客が沸いた。
ここは物語の伏線になっていて、この子たちは最後のほう、回想シーンでも重要な役割を演じている。
だんだん「ベルサイユのばら」みたいなストーリー展開。フランス革命のようになるのかと思ったら、やや「パイレーツ・オブ・カリビアン」ふう。
白い氷が一瞬にして、葛飾北斎のような波に変わった。この海のシーンがまた、今まで他では見たことがないほど美しい。ブラボー!
狩りのシーンも水晶玉のシーンもともかく奇想天外、まばたきする時間が惜しいぐらい。
どの背景も名画のようにクォリティが高いのです。演技も歌も背景も音楽もすべてがハイレベルで、ぴたっと調和している。
あの照れ屋な大ちゃんがしっかりラブシーンも演じきった。
前半終了。

後半のストーリーは「リア王」や「ロミオとジュリエット」みたいなシェイクスピア調。最後は歌舞伎の「雷神不動北山櫻」みたいな流れのお話になった。
それらが全部ちゃんと「月光の如く」というコンセプトの下、話の流れが自然につながっている。
随所にあのイナバウアーやハイドロ―の場面がはさみこまれ、息をのんでしまう場面ばかり。
ステファン・ランビエールのあの色っぽさとダイナミックさとが融合した滑りは健在。それから、王者の風格も昔のままです。
ひとつひとつ目に飛び込んでくるインプレッションが強い。心が焼き付いてしまいそう。
国籍やジャンルやジャンルをこえたスペクタクル演劇アイスショーとでもいえばいいのかしら。でも、ユニヤ・プリセツカヤはちゃんと可憐な日本娘を演じ切っていた。
高橋源氏も、宮本亜門も、最後の挨拶がまたいいの。かっちょいい。
高校野球の開会式みたいに、だらだら長くないけど、作品への自信と愛情がダイレクトに伝わってくる。
息が少しきれていた。やっぱりあの衣装ででずっぱりは体力がいったのでしょう。
宮本は照明や音響の皆さんへの感謝をまず口にした。さすが。
ひとつ難癖つけるとしたら、衣装のすそがあと15センチ短かったら、もっと高度な技がもりこめたはず。
衣装自体は明らかにスケートの動きを意識したものでした。滑りにあわせて、上体はきらきらと色が重なり、これまで見たものとは違うアナザーワールド。
とくに高橋源氏の青と白がすごくきれいで、身をひるがえすと、それだけで平安時代の幻想がよみがえってくるかのよう。
ランビエールも和装がびっくりするほど似あっていて、ぞくっとするエキゾチックな一面をひきだしていた。あの色っぽい滑りは健在。それから、王者の風格も昔のまま。
ただ足元が重たすぎて、二回転ジャンプは無理だし、スピンも変形のスタンドスピンまで。
どの選手も「もっと飛べるな!」「もっとスピンできるな!」と、身体がもどかしがっているように見えた。
朧月夜や紫の上の衣装は殿方よりは短く、ふわふわと軽い素材だったので、動きやすそうでした。
着物というのは直線の布や縫いがほとんど。これにたいしてスケーターたちの体はバレエと同じで、常に曲線を描きつづけている。
直線と曲線のケミストリー。それが言葉にならない、ため息しかでない優雅さを醸し出す。
私は出演者たちがでてくる通路の横で見ていたので、黒服の男たちが5人ぐらい並んだときは、「あれ、ブルースブラザースもでるの?」(なんてシカゴ的な発想・・・)
これもはずれ。
これは安倍総理大臣夫人用だったようです。林真理子さんと見ていたので、エッセイが楽しみになってきた。
私的には子役の中田璃士(りお)、市川昊之介、記野百合菜を特筆しておこう。でてくると思いますよ。
あと巫女役や他の役柄で西田美和。最近はマンションのプロデュースでも有名ですが、元プリンスオンワールドのメンバーです。こういう超がつく個性的な生き方もかっこいいではありませんか。
村元哉中は五輪にもアイスダンスで出場。
それと庄司理沙も。この前「執事 西園寺の名推理2」第3話に出演されていた。
普通だとアイスショーは個人技やカップルが主役で、グループナンバーは脇役にすぎません。ディズニーオンアイスぐらい。
「氷艶」は歌手や役者やダンサーたちとのコラボなので、ディズニーとはまた一味もふた味も違います。
再演希望。だが、この豪華なメンバーがそろうかどうか。
芝居ってやっぱり一期一会。ポケットモンスターと違って、次の確約がない。だからこそ、はかなく、寂しく、それでいて、満足もさせてくれる。
誰もいない、何もないところから、生まれた夢物語なのだ。スケート、歌、演技。これだけ本格的なものを一人一人ではなく、大勢が協力しあってひとつのものを作り上げていく。
築きあげていった夢と情熱の立体化。「下町ロケット」に通じるような作り手の熱さが、冷たい氷の上ではずっと燃焼しつづけていた。
あの日、あそこは横浜アリーナであって、横浜アリーナではなかった。平安時代にタイムトリップ。日常とはまったく切り離された、違う空間へ観客一人一人を連れて行ってくれた。
いろいろあっても明日からまた元気に生きよう、「氷艶」はそんな気持ちにさせてくれる作品、見る人の心を桎梏から解き放ってくれるパワー全開だった。
これもまた、田辺聖子の小説のタイトルでもあります。
「お目にかかれて満足です。」
(敬称略)<取材・文 梅田香子>
横浜市では「氷艶」にちなんで、こんな企画を実施しているそうです