NHKドラマ「いだてん」はいっきに学徒出陣まで行ってしまいました。 
 雨の神宮球場。あの中には若かりし日の元近鉄バッファローズの西本幸雄監督もいたのです。 

 加納治五郎さんもいなくなり、さびしくなってしまいました。 
 カイロでのIOC委員会は、戦争のことで突き上げという雰囲気ではありません。日本を南京を占領し、虐殺を報じたのはシカゴの「デイリーニューズ」でした。
 その直後とはいえ、今ほどは情報がスピード化されていなかったのです。

 戦前までオリンピックは冬と夏、同じ年に同じ国で開催されるのが原則、なので、ベルリン五輪より半年前、ドイツではガルミッシュ・バーテンキルヘン冬季五輪が開催され、そこに稲田悦子が出場しました。
 

 やたらと開催地の名前が長いのはヒトラーが2つの村を強引に合併させてしまったためです。 
 私はこのあたりのことは「ヒトラーと握手した少女~稲田悦子物語~で書きました。 

  ヒトラーと握手した少女~稲田悦子物語~

その資料のひとつにもなった「アサヒスポーツ」3月1日号をここに貼っておきます。50年以上たつているから、著作権も切れているはず。だいぶ紙がいたんできたので、機会あったら電子化して保存しておきます。
 
 興味のある方はお楽しみください。クリックすると大きく広がるはずです。国際ジャッジとした活躍された平松純子先生のお父さんも。苗字が違いますけどね。Bye now!
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