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  スポーツ・イラストレイテッド( Sports Illustrated=略称SI)は「ナショナル・ジオグラフィック」と並ぶ人気の週刊誌だ。アメリカでこれを知らない人はまずいない。

  ほとんどが定期購読者で、発行部数は常に300万部越え。医者やスポーツジムの待合室にたいていこのSI誌がおいてある。 
  同誌の表紙になることは、スター選手の仲間入りを果たすことを同意語である。
 
  その一方で、「スポイラ・ジンクス」という伝説も根強い。
 つまり表紙になった新人選手はいったん調子を落とす。そういうジンクスがまことしやかにささやかれているのだ。
 
  日本のようなスポーツ新聞はなく、ライバルは「スポーティングニュース」か「SPORT」か新興の「ESPNマガジン」ぐらい。
 それぞれが個性的なスタイルを追求し、こだわりつづけ、独自性と伝統を守りぬいてきた。
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 たとえば、ESPNマガジンを例にとると、アスリートたちの美しいヌード写真を載せるなど、奇にてらった企画で話題いを集めてきた。
 が、SI誌もこの類のエピソードでは負けてはいない。
 けんけんがくがく論争や批判の嵐を浴びながら、年に一度の水着特集(Swimsuit Issue)は爆発的に売れゆきを誇ってきた。
 ちなみに水着モデルの選考係は女性で、ヒップラインの美しさを重視しているそうだ。

  日本では「スポーツグラフィックナンバー」誌が創刊以来、SI誌と提携していた。
 ところが、紆余曲折があった。
 最初の10年、SI誌への提携費用が年間一億円近くかかっていたため、ある時点で編集長が勇断し、契約を切った。
 その分を取材費にまわしたところ、大幅に発行部数をのばし、現代の地位を築いている。
 
  そんなSI誌の表紙を飾った日本人は過去、9人だけ。
 
  まず東京五輪の坂井義則と札幌五輪の金野昭次。
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 NHKドラマ「いだてん」にも登場しているように、坂井青年は8月6日、原爆を落とされた日、広島で生まれた。
 この聖火リレーをきっかけに、フジテレビを受けて、逸見政孝、露木茂といった名アナウンサーたちと同期入社だった。
 
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 1977年にはSI名編集長のフランク・デフォードが日本まで取材にやってきた。
 摩訶不思議な日本のプロ野球をレポートして、王貞治が表紙になった。
 ただし、日本の野球場では観客が全員サイン盗みをしている、とかかなり不思議な記事であった。
 
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  1994年には西武ライオンズの渡辺久信投手がSI表紙に登場。
 ただし、これはメジャーリーグがストライキで、ワールドシリーズもキャンセルしたため、代わりに日本シリーズを放映したといういきさつがあった。ウィンドウズ95の日本版が発売になるのは、この翌年のことで、インターネットの中継など当時は予想できなかった。
 
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 1995年にはドジャース入りした野茂英雄が7月8日号で登場。
 
 その後はイチローは4回もSI紙の表紙になった。東洋人としてはダントツ。
 
  松坂大輔、福留孝介、大谷翔平と大リーガ―がつづいた。現時点で彼らは一回ずつ。
 他の競技ではまだ表紙になった日本人はでていない。テニスの大坂なおみ、フィギュアスケートの羽生結弦はすでに同誌で記事にはなっているから、表紙も有力候補といえそうだ。 
 
 日系人のクリスティ・ヤマグチはアルベール五輪の金メダルで表紙を飾っている。

  最多で表紙になったのはマイケル・ジョーダンが50回でダントツ。もっともジョーダンは野球転向のとき、SI誌に「エラー・ジョーダン」と書かれてからは協力していない。モハメッド・アリが37回、タイガー・ウッズが24回である。<了>
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