羽生選手が滑った後、クマプ―の雨が降るのはすっかり有名になった。
かつてデビッド・サンティ―は曲の一部で必ず「ロッキー」を使い、ボクシングのローブを着て出番を待ったものだ。
かつてデビッド・サンティ―は曲の一部で必ず「ロッキー」を使い、ボクシングのローブを着て出番を待ったものだ。
ステファン・ランビエールの場合、ヨーロッパの試合では必ずといっていいほど、地元からの応援団が陣取り、牛のベルを鳴らしてグットラックを祈った。
というのも、ランビエールはスイスの小さな村で生まれ、父親はアルプス出身、母親はポルトガル人だった。
なので、彼は英語はもちろん、フランス語、ドイツ語、ポルトガル語を流暢に話す。今はイタリア語と日本語も学んでいる。
ランビエールが現役のとき、佐藤信夫コーチが「スイスの選手は皆、スピンが本当にうまい。何かあるのかな」なんて、つぶやいた。信夫先生はルシンダ・ルーを育てたから、しみじみ実感こもっていた。
以前はスケート選手たちも軍隊に籍をおくなど、あくまで国家レベル傘下で育成されてきた。
旧ソ連が崩壊する前後、スケート施設も育成組織も老朽化してしまい、ロシアから指導者たちが次々とアメリカに流出してしまった。
ところが、ここ数年で彼らはロシアに戻り、それぞれスクールをまかされている。
ところが、ここ数年で彼らはロシアに戻り、それぞれスクールをまかされている。
日本にはそんなスケーとスクールがひとつもない。
バレエでは熊川哲也が「Kカンパニー」を作って、初心者の主婦からプロまで育成し、公演活動してる。日本でもできなくはないはずだ。昔よりも製氷の技術は安上がりに進化している。
たとえば、関西大学を例にしても、たった一つのリンクに3つもチームがあり、さらにアイスホッケーも練習する。それでも恵まれた環境といえるほうなのだ。
来月の練習時間とリンクをどう確保するか、日本のコーチたちはまず、そこで頭を痛める。
今のままだと日本はロシアにはかなわない。練習環境という点において。
フィギュアスケートには「プライマリー・コーチ」という言葉がある。野球でいうとヘッドコーチみたいなものかな。
フライマリー・コーチが司令塔になり、他にもハーネス担当、ジャンプ担当、振り付け師など、コーチングスタッフでチームを組む。あるいは夏だけ別なコーチのところで修業させたりする。
クラシック音楽やバレエやっている人はご存じのはず。
ある程度まで習得したら、次に進む。新しい練習場所で気持ちをリフレッシュさせ、違う指導者について新しいエキスを吸収していかなくては先にすすめない。
山田満智子&樋口美穂子コンビは世界でもトップクラスの指導者だ。なので、次を探すのは大変だったはず。宇野選手、シカゴの夏合宿ではウクライナ出身の元アイスダンサーに師事していた。筆者は20年前からあのコーチを知っているけど、グレーシー・ゴールドにジャンプを教えたのは別人ですよ。
ともかく、いろいろなコーチを試したのは正解だった。いそがば回れ。
ランビエールは現役のとき4回転ジャンプも飛んでいたが、トリプルアクセルが苦手だった。途中で一度練習拠点を米国ニュージャージーに移し、ウクライナ出身のヴィクトール・ペトレンコの指導を受けた。
少し前のネイサン・チェンがそうだったように。田村岳斗コーチも現役のとき同じだった。
どうもそういう人のほうがコーチには向いているらしい。簡単にひょいと飛べてしまう人よりも、あれこれ悩み、工夫を凝らすから、その経験が指導するときに生きてくる。
少し前のネイサン・チェンがそうだったように。田村岳斗コーチも現役のとき同じだった。
どうもそういう人のほうがコーチには向いているらしい。簡単にひょいと飛べてしまう人よりも、あれこれ悩み、工夫を凝らすから、その経験が指導するときに生きてくる。
ランビエールはバンクーバー五輪ではSP5位、FS3位。総合点では高橋大輔選手が0.51点うわまわり、銅メダルで表彰台にあがった。
その後は高橋のEX「アメリ」の振り付けを手がけたり、アイスショーの「氷艶」に出演したり、2017年からは島田高志郎選手のプライマリーコーチを務めている。
📝番外メモ📝
2019年全日本フィギュアスケート選手権に選手と共に参加しているコーチを書き出してみた。
男子シングルは関西大が強い。
女子シングルも関西大の濱田チームと長光チーム。去年は織田チームから一人でていましたが、今年は惜しくも予選おち。
他はもっと散らばっていて、成瀬コーチが3人、福岡の石原美和チームが2人、山田満智子チームからも門奈チームからも2人、厳しい予選を勝ち残ってきた。
他はもっと散らばっていて、成瀬コーチが3人、福岡の石原美和チームが2人、山田満智子チームからも門奈チームからも2人、厳しい予選を勝ち残ってきた。