という祈りはむなしく、特別対策チームが機体の残骸から3人の遺体を収容した。
残る6人も周辺の探索で発見した。乗っていた9人全員が死亡。
指紋でそのうちの一人が、コービー・ブライアントであることが確認された。まだ41歳の若さだ。
コービーとバネッサ夫人は2001年、それぞれ22歳と18歳で結婚している。
2人の間には4人の娘が生まれたばかりで、息子はいなかったけれど、
「私がパパにつづくわ」
と語る次女のジェンナがいた。彼女は「ジジ」という愛称で親しまれて、バスケットボールに夢中だった。
バスケットボールと父親をこよなく愛し、バスケットボールと父親のほうも彼女を深く愛した。
まだ13歳だというのに、父親と同じ日、同じ場所で亡くなってしまうとは。
13歳といえば、アメリカ生まれでイタリア育ちだったコービー。父親がイタリアのプロリーグに在籍したため、6歳から約7年をすごした。
なので、バスケだけではなく、サッカー少年でもあった。
最初のNBAオールスターゲームのメディアセッションでは、イタリアからの記者にたいしてはイタリア語を話した。その場でぽーんとサッカーボールを渡されるとスーツ姿のまま、見事にリフティングをみせた。
順調にスーパースターへの道を歩みはじめ、五輪でも活躍した。
あの輝くような笑顔はいつも変わらなかった。
レイカーズで優勝したときはホワイトハウスから招待をうけた。
引退のスピーチも人々の心をゆさぶった。
17歳で大学よりプロを選び、誰よりも練習をし、大きなけがを何度ものりこえ、コートにもどってきたコビー。
またふっと引退を撤回し、ステイプルセンターに現れるような気がしてならない。
あそこを訪れる選手やファンの心の中で、今日もドリブルしているのではないだろうか。
コービーそっくりの微笑みとよく動く足を授かった13歳のジジと共に。