1949年生まれ、71歳になるグラミー賞ハーピスト、シュガー・ブルーは、数年前から中国・上海に住んでいる。
もともとニューヨーク出身。本名はジェームス・ホワイティング。母親はアポロシアターで歌手やダンサーとして働く女性で、あのビリー・ホリデーも生まれたばかりのベイビーを見に来たとか。
シュガーの最初の結婚相手はフランス人で、シカゴで共に生活して、離婚。長女はもう成人してフランスで暮らしている。
60歳すぎてから、イタリア人女性と2度めの結婚。長男はまだ小さかったはず。 89、94年には来日ツアーもあったが、それだけではなく、家族で上海から豪華フェリーで、広島や長崎をちょこちょこ観光旅行で来ている。
なぜ中国在住なのか?
そのへんのいきさつは、好評連載「ゆみこのほのぼの~ブラックカルチャー」にて。
まだ独身だった1970年後半、シュガー・ブルーはフランスのパリへ。ローリングストーンズのロニー・ウッドの話だと、ミック・ジャガーが通りでシュガーをたまたま発見。
「サムガールズ」と エモーショナルレスキュー」のアルバムでシュガーが参加している。
「

シュガー・ブルー ボブ・ディランやスタン・ゲッツ、プリンスなどジャンルを超えた数々の著名なアルバムにも参加。 1985年には、トラディショナルブルースのベストアルバムでグラミー賞を受賞した。
もともとニューヨーク出身。本名はジェームス・ホワイティング。母親はアポロシアターで歌手やダンサーとして働く女性で、あのビリー・ホリデーも生まれたばかりのベイビーを見に来たとか。
シュガーの最初の結婚相手はフランス人で、シカゴで共に生活して、離婚。長女はもう成人してフランスで暮らしている。
60歳すぎてから、イタリア人女性と2度めの結婚。長男はまだ小さかったはず。 89、94年には来日ツアーもあったが、それだけではなく、家族で上海から豪華フェリーで、広島や長崎をちょこちょこ観光旅行で来ている。
なぜ中国在住なのか?
そのへんのいきさつは、好評連載「ゆみこのほのぼの~ブラックカルチャー」にて。
第3回 中国で暮らすシュガー・ブルーの新作アルバム
まだ独身だった1970年後半、シュガー・ブルーはフランスのパリへ。ローリングストーンズのロニー・ウッドの話だと、ミック・ジャガーが通りでシュガーをたまたま発見。
「サムガールズ」と エモーショナルレスキュー」のアルバムでシュガーが参加している。
「

シュガー・ブルー ボブ・ディランやスタン・ゲッツ、プリンスなどジャンルを超えた数々の著名なアルバムにも参加。 1985年には、トラディショナルブルースのベストアルバムでグラミー賞を受賞した。