
「また黒人が撃たれたん?」
「うん」
「・・・どこ?」
「キノーシャやで」
「・・・ふーん・・・」
8月23日のことだ。寝起きでどんよりしているダンナが、さらにどんよりした。つづきですバックナンバー
とダンナから聞いたのは、今年の5月のはじめだった。
ロニーはダンナのいとこにあたる。けれども、年が離れていたので、彼はロニーのことをアンクル・ロニーと呼ぶ。
子供の頃、このロニーからさんざん暴力を振るわれた。
数年前のある日、B.L.U.E.S.というクラブの前を通りかかると、中からものすごくファンキーなサウン ドが聞こえてきた。
「わーーーーっ!!!カッコええ!!!」
と、迷わず店の中に飛び込んだ。
リード・シンガーはジミー・ジョンソン(Jimmy Johnson)、ギターはシカゴの若手ギターリスト、チコ・バンクス、ベースはダンナだった。
「ウソつけーーーっ!!!」
「黒人はほとんど変わってないやんかーっ!」
「大統領がウソついてどうするねんっ!」
と、われわれ夫婦は画面に向かって抗議をする。
シアトルポリスはまともや「やっぱりシアトルのpolice department(警察署)は違うっ!」 と、ダンナがテレビに向かってガッツポーズをした。 これは今から5年ほど前の話。ゴルフクラブを杖替わりに使用していた69歳の黒人男性を逮捕した、女性警察官が解雇されたニ
7月4日は独立記念日。翌日仕事へ行くと、「ゆみこ~、昨日は眠れた?」 と、同僚たちに聞かれる。「眠れた~」 と答えるのも毎年恒例。私はいかなる場所でも、いかなる状況でも眠れる特技を持っているのだ。 今年はコロナの影響で、各地で行われる花火は中止になっ
「ピラミッドをつくったのは黒人や!」「宇宙飛行を成功に導いたのは黒人女性数学者なんじゃ!」「NBAの選手を見てみろ!オリンピックのバスケットボール選手は全員黒人や!おれらはまともにご飯を食べてなくても、これだけのことができるねんぞっ!おれらがご飯を食べられる
前回にも書いたとおり、チコ・バンクスは亡くなった後も、お気に入りのB.L.E.S.にとどまって、皆を驚かせた。 さらにダンナにもサプライズを残していった。 第7回 才能あるミュージシャンの愛と死「おれはチコ・バンクスだー!」 と自信満々でステージに立つチコ
チコ・バンクスの演奏を聞いたときの衝撃は今でも忘れられない。 キングストンマインズというブルーズクラブのその日のショウは、やや期待外れ。帰ろうかどうしようか迷っているときに、チコがシットインした。 ワンフレーズ弾いた瞬間、「やったーっ!!!」と嬉しく
つい先日のことだ。ダンナのいとこから数枚の写真が送られてきた。 13歳のときに家を出たダンナは、子供の頃の写真を一枚も持っていなかった。 それを知ったいとこが、彼のために写真を送ってくれたのだ。その中には彼のパパのママ、ヘイズおばあちゃんの写真が入ってい
前回、ダンナがシャイ・ライツ(The Chi-Lites)のツアーでニューオーリンズへ行ったときの出来事を書いた. このグループ、私がシカゴへ移り住んだら、絶対に見たいと思っていたバンドのひとつ。 シカゴといえば、シャイ・ライツ。 シャイ・ライツは1970年代
これはダンナがザ・シャイ・ライツ(The Chi-Lites)で演奏していた頃なので、1980年代後半から1990年前半の話のお話。 ザ・シャイ・ライツはマーシャルによって1959年にシカゴで結成されたR&Bバンドだ。 演奏ツアーでニューオーリンズへ行ったときに、ひとりで
シカゴといえば、ブルーズ、ジャズ、ディープディッシュピザ、ミレニアムパーク、シカゴ美術館、フランク・ロイド・ライトの建築物、バスケットボール、野球、フットボールなどなど、楽しいことがいっぱい。高層ビルディングから眺めるダウンタウンの夜景は国内でも一番と
2018年8月16日、クィーン・オヴ・ソウルのアリサ・フランクリンが亡くなった。 数年前からこの日が来ることは予想できていたので、驚くことはなかった。 けれども、ひとつの時代が終わったという感じで、とても寂しく、そして残念だった。 彼女はOne And Only。
るる・ゆみこ★神戸生まれ。大学卒業後、管理栄養士で数年間働いた後、フリーターをしながらライヴへ行きまくる。2004年、音楽が聞ける街に住みたいという理由だけでシカゴへ移住。夜な夜なブルーズクラブに通う日々から一転、一目惚れした黒人男性とともに、まったく興味のない、大自然あふれるシアトルへ引っ越し、そして結婚へ。