阪神タイガースの監督だったとき、ある時期から、星野仙一監督はぴたっと、スポーツグラフィックナンバーや週刊文春ならびに文藝春秋社の取材は受けなくなってしまった。
だらだら長くなるから、そのへんの事情は書かない。どちらか一方が悪いとか、そういう問題ではないからだ。
でも、蜜月だった時代もあったのよ。
中日ドラゴンズの現役ピッチャーをやめて、評論家になった星野仙一は、NHK、日刊スポーツと並んで、ナンバーのアドバイザリー・スタッフになった。
元巨人の瀧安治さんも同じスタッフだった。
当時まだナンバーは売上げ部数的には低迷していた。創刊して10年は赤字雑誌。今の出版業界だったら、つづけられない。けれども、その一方でコアな読者は数多かった。私もその一人だった。
特に星野仙一の対談シリーズが好きで、筆者は中学から高校にかけて、ほとんど暗唱できるほど読みこんでいた。
それが駆け出しのライターだった時代、どれだけ役にたったことか。
「勝利投手」を読んだ編集者が間違いなく、この書き手はナンバーも読者だと確信したのも、セリフや文章の随所に、対談の中の口調が生かされていたからだったはず。
まだ女性のスポーツライターは珍しかった。でも、ナンバーの編集者は後に一緒に仕事するようになってからも、もう過去のナンバーは読みこんでいるという前提で、早くから原稿を依頼してくれた。
とくにこの山本浩二、落合博満との対談は秀悦。私が担当したものではないけれど、当時はまだライターになる前の学生、星野仙一事務所で電話番しながら、何度も読み返したもの。
後に同じユニフォームを着て共に戦う運命にあるとは、野球の神様も教えてくれなかった。
まさに星野仙一夜物語だった。




だらだら長くなるから、そのへんの事情は書かない。どちらか一方が悪いとか、そういう問題ではないからだ。
でも、蜜月だった時代もあったのよ。
中日ドラゴンズの現役ピッチャーをやめて、評論家になった星野仙一は、NHK、日刊スポーツと並んで、ナンバーのアドバイザリー・スタッフになった。
元巨人の瀧安治さんも同じスタッフだった。
当時まだナンバーは売上げ部数的には低迷していた。創刊して10年は赤字雑誌。今の出版業界だったら、つづけられない。けれども、その一方でコアな読者は数多かった。私もその一人だった。
特に星野仙一の対談シリーズが好きで、筆者は中学から高校にかけて、ほとんど暗唱できるほど読みこんでいた。
それが駆け出しのライターだった時代、どれだけ役にたったことか。
「勝利投手」を読んだ編集者が間違いなく、この書き手はナンバーも読者だと確信したのも、セリフや文章の随所に、対談の中の口調が生かされていたからだったはず。
まだ女性のスポーツライターは珍しかった。でも、ナンバーの編集者は後に一緒に仕事するようになってからも、もう過去のナンバーは読みこんでいるという前提で、早くから原稿を依頼してくれた。
とくにこの山本浩二、落合博満との対談は秀悦。私が担当したものではないけれど、当時はまだライターになる前の学生、星野仙一事務所で電話番しながら、何度も読み返したもの。
後に同じユニフォームを着て共に戦う運命にあるとは、野球の神様も教えてくれなかった。
まさに星野仙一夜物語だった。



