今はもうなくなってしまったり、変わってしまったヒストリカル・プレイスを中心に紹介します。
〇マイケル・ジョーダン・レストラン
Historic Michael Jordan Restaurant
1990年代はマイケル・ジョーダン本人も、野茂英雄やイチローのようなアスリートや映画俳優たちも足を運びました。
今はまったく違うメキシコ料理の店になっています。
〇オバマ元大統領の元住宅
Barack Obama Residence
オバマ大統領が2005年、シカゴの法律事務所で働いているときに、家族のために購入した家です。
大統領になったとき人気がすごくて、しばらくは報道陣や観光客の撮影スポットになりました。
まもなく、この界隈は厳重にパトロールされ、住民以外は入れなくなりました。シカゴ大学に近いのですが、あまり治安はいいところではなかったので、パトロール強化は住民たちに大歓迎されました。
その後は売りだされ、違う家族が住んでいます。
シンガーソングライターとしてシカゴのナイトクラブで働いていたとき、住んでいた家です。今は違う家族が買って、暮らしています。
コールはその後、ハリウッドに移住し、黒人初のテレビ番組ショーでデビューしてました。
〇マディ・ウォーターズの家
Muddy Water’s residence

この家は倒壊の可能性があるため、現在は立ちいり禁止です。博物館としてスタートさせるプランが今、動いているところです。
〇コットンクラブ
Cotton Club
Cotton Club
ニューヨークのハーレム、元祖コットンクラブが有名です。
ほぼ同じコンセプトで全米各地、ここシカゴでも目ぬき通りのミシガン・アベニューで開業されました。
1986年、オーナーの娘、コゼット・イスラエルが店長をつとめました。コゼットも自ら毎晩のように、バーテンダーとしてカウンターに立ちます。このとき彼女はまだ17歳。(今の法律では21歳までバーで働くことは当然、スーパーマーケットのレジでもビールを売ることができません)
週末の夜、この店は豪華絢爛リムジンが並び、ドレスアップした黒人のカップルの社交場となります。
セレブ向けの社交界でしたから高級感を売りとし、スニーカーやジーンズでの入店は許されません。
オシャレな制服を着たドアマンやボーイたちが入口に立って、さりげなく服装もチェックです。
内装も洗練されていて、バスルームは広く、照明も凝っていました。
ウェイトレスだけではなく、至るところにメイドがたち、手を洗ったお客に、さっとタオルを差し出してくれます。
入ってすぐ右側がバーコーナーです。生バンドが演奏したり、コメディアンのショーが行われるがあり、背景のガラスごしに外に次々とリムジンが停まるのが映し出されます。
NBAのスーパースター、マイケル・ジョーダンが妻をエスコートして来ることもありました。黄色い歓声をあげるような客はいません。
「はーい、マイケル。調子がどう?」
「うん、すごくいいよ」
などという会話がさりげなく、あくまで優雅でした。
奥のほうがディスコです。ホールの真ん中は踊るスペースで、おしゃべりを楽しむ男女たちは壁にテーブルやソファーでくつろぐことができました。
この店のステージからR&B界のスター、R・ケリーやキング・オブ・コメディアンのバーニー・マックが人気を集め、メジャーになっていきます。
コットンハウスは人々に、おしまれながら2008年、閉店しました。
同じ場所に今は豪華なコンドミニアムが建っています。
↓るるゆみこのほのぼの~ブラックカルチャー通信 Update!
コットンクラブで活躍したバーニー・マックス編の後半。
↓
R・ケリーについてはこちらをどうぞ。
〇マイケル・ジョーダン・レストラン
Historic Michael Jordan Restaurant
1990年代はマイケル・ジョーダン本人も、野茂英雄やイチローのようなアスリートや映画俳優たちも足を運びました。
今はまったく違うメキシコ料理の店になっています。
〇オバマ元大統領の元住宅
Barack Obama Residence
オバマ大統領が2005年、シカゴの法律事務所で働いているときに、家族のために購入した家です。
大統領になったとき人気がすごくて、しばらくは報道陣や観光客の撮影スポットになりました。
まもなく、この界隈は厳重にパトロールされ、住民以外は入れなくなりました。シカゴ大学に近いのですが、あまり治安はいいところではなかったので、パトロール強化は住民たちに大歓迎されました。
その後は売りだされ、違う家族が住んでいます。
ADDRESS: 5046 South Greenwood Avenue, Chicago, IL MAP
〇ナット・キング・コールが住んでいた家
Nat King Cole Residence
シンガーソングライターとしてシカゴのナイトクラブで働いていたとき、住んでいた家です。今は違う家族が買って、暮らしています。
コールはその後、ハリウッドに移住し、黒人初のテレビ番組ショーでデビューしてました。
ADDRESS: 4023 South Vincennes Avenue, Chicago, IL MAP
〇チェッカーボード・ラウンジ
Original Checkerboard Lounge
ADDRESS: 423 East 43rd Street, Chicago, IL MAP
〇マディ・ウォーターズの家
Muddy Water’s residence

ADDRESS: 4339 S. Lake Park Ave. in the North Kenwood, Chicago, IL MAP
〇コットンクラブ
Cotton Club
Cotton Club
ニューヨークのハーレム、元祖コットンクラブが有名です。
ほぼ同じコンセプトで全米各地、ここシカゴでも目ぬき通りのミシガン・アベニューで開業されました。
1986年、オーナーの娘、コゼット・イスラエルが店長をつとめました。コゼットも自ら毎晩のように、バーテンダーとしてカウンターに立ちます。このとき彼女はまだ17歳。(今の法律では21歳までバーで働くことは当然、スーパーマーケットのレジでもビールを売ることができません)
週末の夜、この店は豪華絢爛リムジンが並び、ドレスアップした黒人のカップルの社交場となります。
セレブ向けの社交界でしたから高級感を売りとし、スニーカーやジーンズでの入店は許されません。
オシャレな制服を着たドアマンやボーイたちが入口に立って、さりげなく服装もチェックです。
内装も洗練されていて、バスルームは広く、照明も凝っていました。
ウェイトレスだけではなく、至るところにメイドがたち、手を洗ったお客に、さっとタオルを差し出してくれます。
入ってすぐ右側がバーコーナーです。生バンドが演奏したり、コメディアンのショーが行われるがあり、背景のガラスごしに外に次々とリムジンが停まるのが映し出されます。
NBAのスーパースター、マイケル・ジョーダンが妻をエスコートして来ることもありました。黄色い歓声をあげるような客はいません。
「はーい、マイケル。調子がどう?」
「うん、すごくいいよ」
などという会話がさりげなく、あくまで優雅でした。
奥のほうがディスコです。ホールの真ん中は踊るスペースで、おしゃべりを楽しむ男女たちは壁にテーブルやソファーでくつろぐことができました。
この店のステージからR&B界のスター、R・ケリーやキング・オブ・コメディアンのバーニー・マックが人気を集め、メジャーになっていきます。
コットンハウスは人々に、おしまれながら2008年、閉店しました。
同じ場所に今は豪華なコンドミニアムが建っています。
↓るるゆみこのほのぼの~ブラックカルチャー通信 Update!
コットンクラブで活躍したバーニー・マックス編の後半。
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R・ケリーについてはこちらをどうぞ。