この3年連続全米選手権2位のペアは不運が重なり、世界選手権と五輪は一度も出場できなかった。
2020年の全米ではフリーでは最高の演技をみせ、総合で2位。カナダのモントリオールで開催される世界選手権の枠をつかんだものの、直前にコロナ渦でキャンセルになってしまったのは記憶に新しい。
さらに2021年1月、ジェシカはドーピング検査で陽性(4-クロロフェノキシ酢酸)がでた。
「絶対にそんなはずはない」(ジェシカ・カララン談)
幼友だちでもあり、ペア競技のライバルでもあり、トレーニング仲間でもあるアレクサ・クニエリムは、ジェシカが無実だと信じた。
コーチも周囲の人間もドーピング疑惑など「ありえない」と考えた。
カララン家では弁護士を雇って、オフアイスで戦う日々がつづいた。
五輪イヤーだというのにその間はスポンサーがはなれた。およそ8か月、経済的に苦しく、コロナで練習場所にも困った。
投薬は普段から神経をとがらせているから、まず考えられない。
ジェシカと母親はまず半年の間に飲食したものをリストアップ。片っ端からドーピング研究団体に検査を依頼した。
ところが、なかなか該当するような成分は見つからなかった。
視点をかえて、シャンプーやローションも検査してもらうことにした。
ようやく8月の最終日。ファウンデーションに4-クロルフェネシンが代謝される可能性がある、というレポートが届き、それが突破口をひらいた。
ジェシカの両親はフィリピンからの移民だ。1995年2月、野球に挑戦していたNBAの元スーパースター、マイケル・ジョーダンのブルズ復帰でシカゴ中が大騒ぎしている最中、パークリッジ市のルゼラン総合病院で彼女は生まれ、育った。
小麦色の肌の美しさに誇りをもっていて、多くのペア選手がそうであるように、普段は化粧のときファンデーションは使っていなかった。パートナーの着ているものがべたべたになってしまうからだ。
小麦色の肌の美しさに誇りをもっていて、多くのペア選手がそうであるように、普段は化粧のときファンデーションは使っていなかった。パートナーの着ているものがべたべたになってしまうからだ。
たまたま撮影でメークしてもらう機会があり、その中のファンデーションがひっかかったのだ。
2021年9月30日。ジェシカはUSADAと世界アンチ・ドーピング機関の両方によって、やっとようやく最終的にクリアとなり、競技生活に戻ることができた。
直後のフィンランディア杯で4位、スケートアメリカで5位。
オリンピックに向けての着実なスタートを切った。ショートプログラムはほぼミスなしだったが、フリーは練習不足がひびき、ジャンプのミスが多かった。
2022年1月の全米選手権でジェシカ組はショートはクリーンに滑った。ところが、ここでアレクサ&ブランドン・フレイジャーがコロナ陰性で棄権。
ジェシカ組はフリーでジャンプはミスしたものの、総合順位は2位。
北京五輪の切符を手にできるのか?
選ばれたのは、アレクサ組だった。前回の五輪の後、アレクサはブランドンと結婚して一度は引退を表明したが、それを撤回して競技に復活した。結婚式にはもちろんジェシカも招待された。
ジェシカはアレクサ組の世界選手権での優勝した瞬間、結婚のときと同様、すぐにSSNで祝福の言葉を送った。
ジェシカが引退をインスタグラムで発表したとき、いちばん最初にコメントしたのはアレクサだった。
2人ともペアをはじめる前、シングル競技でイリノイ州郊外、バッファローグローブのリンクで朝も午後も練習を共にして、長い時間をこれまで共有してきた。
「引退を発表することで、たくさんの人がショックを受けることはわかっています。でも、私はもう人生で次に進む時期が来たと判断しました。スケートは本当にすばらしい、スリルがあって、エモーショナルで、心臓が爆発しそうになる経験ばかりでした。きっと私は笑顔と満足感で、そうした日々を振り返ることができると思います」(ジェシカ・ヤングのインスタグラムから)
<文責・梅田香子>
<文責・梅田香子>