るるゆみこのほのぼの~ブラックカルチャー通信 Update!

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  USAバスケットボール協会は2024年までの新スタッフをすでに発表した。
  ヘッドコーチはスティーブ・カーである。
 
  チームUSAは東京五輪でも金メダル、1992年のバルセロナ五輪から4連覇中。2024年のパリ五輪でも1位しか考えられない。
  2023年にはワールドカップも予定されている。これは前回7位。挽回したいところだ。
 
  2014年のオフのことだ。
  シカゴ・ブルズで共に黄金時代を築いたフィル・ジャクソンは、ニューヨーク・ニックスのヘッドコーチとしてカーを招へいしよう、と考えた。
 このときカーは迷った末、ニックスを断り、ゴールデンステイト・ウォリアーズを選ぶ。
 そして、すでに3度、優勝に導き、2016年は最優秀コーチに輝く。
 
 そのカーが2022年5月、試合前の会見で「バスケットボールの話をするつもりはない」と前おき。一連の銃撃事件について声を震わせ、強く訴えかけた。
  
 この会見の言動が、日本では「バッファローとテキサスの事件のことを受けて」と報道された。おしい。ほんの少し違う。
 その2つの事件は、たまたま死者の数が多かっただけなのだ。米国各地ではほぼ連日、大小の銃撃事件が起きている。
 そういう現実がかえって住民の不安をあおり、銃を買い求める人の人数が増えるという負のスパイラルを生んでいるのだ。
 
 カーは誰でも銃を簡単に買えてしまうのはおかしい、厳格な登録制にしてコントロールするべきだと主張した。
 
 できないはずではないのだ。
 たとえば、米国では21歳にならないと、スーパーマーケットでも酒類は購入できない。
 購入どころか、レジやレストランのアルバイトでも酒のボトルを触ることすら禁止。違反した店は営業許可を取り消されてしまう確率が高い。
 ビールの自動販売機もない。
 酒より銃ならネットで簡単に購入できてしまう社会なのだ。
 
 思えば、カーが現役だったとき、シカゴ・ブルズにはマイケル・ジョーダンがいて、スコット・ウィリアムズがいた。
 
 筆者はゴールの後ろにある記者席で、ホームゲームはほぼ全試合いた。座っている席はシカゴブルズのベンチから5メートルと離れていない。
 
 周知のとおり、バスケットボールは5人でプレーするスポーツだ。
 ときどき頭をよぎった。コートで走る5人のうち3人が、親を銃殺されたというのはアブノーマルだ、と。
 
 ウィリアムズはノースカロライナ大学中、父が自宅のガレージで母を撃ち、自分も同じ銃で自決した。
 
 ジョーダンの父親ジェームスは少年強盗たちの銃で殺害され、2人とも服役中の身だ。
 当時17歳だったラリー・デメリーは殺すつもりはなく、強盗だけを主張。2023年に出所する予定だ。
 主犯のダニエル・グリーンは当時18歳。これまで何度かメディアの取材に応じて、支援者もついた。再審と冤罪を訴えている。(これは具体的な根拠に欠けて、事実確認がない主張なので、これ以上はここで触れたくない)
 ジェームス・ジョーダンとは何度も話したことがある。チームからも報道関係者からも、尊敬を集めた人格者だった。これはたしかな事実だ。

 
 https://www.youtube.com/watch?v=_wxNGO4bSP8
 
 カーの両親は教師だった。父のマルコムはレバノン生まれ、アラビア語を話した。
 その後プリンストン大学に進学して、ベイルート・アメリカン大学で修士号、ホプキンス大学で博士号を取得し、UCLAで76年まですごす。このUCLAで妻のアン・カーは留学生のためのフルブライト奨学金のコーディネーターを勤めた。
 
 カーはレバノンの首都ベイルートで生まれた。ときには友だちとピラミッドで遊び、カイロでバスケットボールをはじめて、アリゾナ大学に進む。
 
 1984年1月18日、マルコムの死を知らされた。犯人は今も正確にはわかっていない。
 
 ベイルート・アメリカン大学で勤務する父はいつもどおり午前9時すぎ、人混みのキャンパスを歩き、自分のオフィスに向かう途中、2人組に銃で頭を撃たれた。
 すぐに大学病院に運ばれたとき、まだ52歳。52年前に自分が生まれた病院で亡くなった。
 
 一部の心ない大学生は、カーが試合に出ると、死んだ父のことをちゃかし、「パレスチナ解放」とやじった。
 
 
 
 9.11テロ直後、イスラム教徒たちがバッシングされたとき、カーは反論した。
 
「多くのイスラム教徒が悪いわけではない。テロリストは一部だ。僕が父親を亡くして苦しんでいるとき、励ましてくれたのは昔からの友人たちだった」
 
 また、トランプ前大統領の反移民政策にも、反発を買うだけでテロの根絶にはつながらないと主張した。
 
 さらにカーはこうも言った。
 
「誰もがユダヤ人のホロコーストについて学ぶ。が、アルメニアの虐殺について知っている人はほとんどない」
 
 両親から「世界観を譲りうけた」と話していたことがある。
 
「祖父母はマラシュ(トルコ)で孤児院を経営し、最終的な旅でベイルートにたどりついたと聞いた。彼らがどれだけの人を助けてきたか、僕はそのことを誇りに思っている」

 今さらながら、カーがプレーヤーとして指導者として、成功をおさめた理由がわかった。
 カーの心には、国籍や人種でおしつけた「排除」が一切ない。
 ありとあらゆる人間の生活や思想を受け入れる「寛容」と「共存」の大切さ。
 レベルの高い猛者がそろったNBAにおいて、決して恵まれた体格や運動神経の持ち主ではなかった。にもかかわらず、崖っぷちに追い込まれた場面での強さは天下一品。まっすぐに正確な軌道を描く彼の3ポイントシュートに、何度チームは助けられ、信頼をおいてきたことか。
 
 暴力が支配しつつある絶望の社会において、カーの言葉と存在から学ぶべき点はあまりにも多い。
 それは文字どおり「黄金の州」の勇者が発した希望そのものなのだから。
 <文責・梅田香子>