現代文明を基準とするならば、われら(アングロサクソン)が成熟した45歳の年齢なのに対し、日本人は12歳の少年のようなものです。by Douglas MacArthur

 

 なぜ今、マッカーサーなのか?

393156 ダグラス・マッカーサーとはDouglas MacArthur)
 1880年1月26日、アメリカ合衆国のアーカンソーに生まれた。祖父の代まではスコットランドの貴族だった。

 もっとも母はフランス系だったので、ダグラスは幼い頃は少女のような服装で育てられた。
 1905年には軍人だった父が駐日武官に就任、日露戦争の観戦武官だった。ダグラスも一緒に来日して東郷平八郎や乃木希典と交遊を深めたという話だ。(そのわりにマッカーサーは日本人は皆、近眼だから飛行機の操縦ができないと決めつけ、開戦&奇襲でやられた後「日本軍はドイツ人のパイロットを雇った」などという報告書をだした)


  1903年に陸軍士官学校を主席で卒業。
  1928年、アムステルダム五輪に米国選手団長として参加。その間に妻の浮気が新聞沙汰になるなど、生涯でたびたびスキャンダルに悩まされた。
 結婚は最初の妻
イーズ、次は33歳下で16歳のエリザベス・クーパーとは結婚に至らず、ジーンと再婚した)

Elizabeth Cooper (フィリピン生まれのダンサー、女優)

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 1935年、
スペイン領だったフィリピンの独立には、父も深く関わった縁もある。ダグラスもフィリピン軍の創設メンバーに加わった。
 1936年からはフィリピン総督に就任。マカラリアン宮殿で家族を呼び寄せ、生活する。
 
ペリー来航で日本を開国させたのはアメリカ合衆国だった。が、そもそも捕鯨船の補給地として求めただけだ。(後年の捕鯨反対運動を考えると、複雑な思いにかられるはずだ)
 その後は南北戦争や先住民たちとの内戦がつづき、米国は工業国として目覚めるまでは農業大国として、「孤立主義」をとっていた。
 それゆえ、世界各国が植民地政策をとっていた時代だったにもかかわらず、海外進出には意外なほど積極的ではなかった。

 第2次世界大戦後、1945年から5年間、連合軍最高司令官(GHQ)として、占領地・日本(Occupied Japan)を最高権力者として統治した。 
 1950年からは朝鮮戦争の国際連合軍総司令官に就任するが、
「原爆を何発か落とそう」など、米国大統領のトルーマンとは意見がことごとく対立。実はこの2人、一度も会ったことはないのだが、翌年にダグラスは解任させられた。
 退任後は大統領選挙への出馬宣言したものの、党内推薦には至らず、撤退を表明した。
 1964年、84歳で死去。

 さて、1951年5月3日。上院の軍事外交委員会で、
マッカーサーを公聴会に呼ばれた。午前10時35分からスタート、休憩を挟んだ午後、日本統治についての質疑が行われた。
 
マッカーサーは人類の歴史上、占領の統治がうまくいった実例はほとんどないに等しい。
 例外として
ジュリアス・シーザーの占領と、自らの日本の統治を自画自賛した。
 そして、「民主主義が浸透した日本がアメリカ側の陣営からでて(共産主義に)行くことはないと強調した。
 ともかく第2次世界大戦は終わってみればソ連の領土が増し、共産圏を増やしただけ。
 植民地の終焉と共に大英帝国が沈み、勝ったはずの米国が得たものはほとんどなかった。物資がない小国を長く占領するつもりはなく、「共産主義」への脅威だけが残った。
 上院議員は
マッカーサーに問う。

Germany might be cited as an exception to that, however. Have you considered the fact that Germany at one time had a democratic government after World War I and later followed Hitler, and enthusiastically apparently at one time. 
 
 
cited 位置する exception 例外 democratic 民主主義 enthusiastically 熱狂的に

  ドイツはたしかに第一次世界大戦の後、一度は民主主義の政権(ワイマール共和国のこと)を手にした、その後、いっときは明らかに熱狂的にヒトラーに従ったという事実を考えたことはありますか?

 
マッカーサーは次のように答えた。

 Well, the German problem is a completely and entirely different one from the Japanese problem. The German people were a mature race. If the Anglo-Saxon was say 45 years of age in his development, in the sciences, the arts, divinity, culture, the Germans were quite as mature.The Japanese, however, in spite of their antiquity measured by time, were in a very tuitionary condition. Measured by the standards of modern civilization, they would be like a boy of 12 as compared with our development of 45 years.

Like any tuitionary period, they were susceptible to following new models, new ideas. You can implant basic concepts there. They were still close enough to origin to be elastic and acceptable to new concepts.

The German was quite as mature as we were. Whatever the German did in dereliction of the standards of modern morality, the international standards, he did deliberately.

He didn't do it because of a lack of knowledge of the world. He didn't do it because he stumbled into it to some extent as the Japanese did. He did it as a considered policy in which he believed in his own military might, in which he believed that its application would be a short cut to the power and economic domination that he desired.

Now you are not going to change the German nature. He will come back to the path that he believes is correct by the pressure of public opinion, by the pressure of world philosophies, by his own interests and many other reasons, and he, in my belief, will develop his own Germanic tribe along the lines that he himself believes in which do not in many basic ways differ from our own.

But the Japanese were entirely different. There is no similarity. One of the great mistakes that was made was to try to apply the same policies which were so successful in Japan to Germany, where they were not quite so successful,to say the least.

They were working on a different level.

mature 成熟した  race 人種、民族 divinity 神学 antiquity 古さ アンティークな tuitionary 教育をうけた elastic 伸縮する deliberately 熟考した上で extent 範囲、規模、広がり domination 優位 philosophies 哲学 similarity 類似点

 
ええ、ドイツの問題は日本の問題とは完全、完璧に、違っていました。
ドイツ人は成熟した民族でした。われわれアングロサクソンが科学、芸術、神学、文化において45歳の年齢にだとすれば、ドイツ人は同じくらい成熟していました。
しかし日本人は時間という点では古めかしい、にもかかわらず、非常に教育を受けた状況にありました。

現代文明を基準とするならば、われら(アングロサクソン)が成熟した45歳の年齢なのに対し、日本人は12歳の少年のようなものです。

まるで授業中のように、日本人は新しいモデルや新しい思想に影響されやすいのです。誰でもそこに基本的な概念を植え付けることができます。
日本人は新しいコンセプトを受け入れ、柔軟に対応するため、充分にまっさらな原点に近いところにいました。

ドイツ人はわれらと全く同じくらい成熟していました。
ドイツ人が近代的かつ国際的なモラルを放棄したという点(ヒトラーに従ったということ)は、それは彼らなりに考えがあってのことでした。ドイツ人は国際的な知識が不足していたから、あのようなことをしたわけではありません。

ドイツ人は国際的な知識に欠けていたから、そうしたわけではなかった。
日本人のようにちょっと欲をだして、ドイツ人は軍事力を用いること、それがドイツ人が希望した権力と経済支配への近道であると考え、熟考したポリシーにのっとって軍事力を行使したのです。

現在、あなた方はドイツ人の本質を変えるつもりはないでしょう
ドイツ人は世界哲学の圧力、世論や彼自身の興味、その他もろもろの理由によって、彼らが正しいと思っている道に戻っていくはずです。
そして、我々のものとはそう変わらない彼ら自身が考える路線に沿って、彼等自身の信念でゲルマン民族を作りあげていくのでしょう。

しかし、日本人はまったく違います。全く類似性がありません。大きな間違いの一つはドイツでも日本で成功していた同じ方針を適用しようとしたことでした。控え目に言っても、ドイツでは同じ政策でも成功していませんでした。

ドイツ人は異なるレベルで動いていたからです。<了><文責・Maria Loren >